“ファッションインフルエンサー”。今では耳慣れた言葉ですが、高島 涼さんは紛れもなくその第一人者。認知拡散・集客のためのツールとしていち早くSNSを取り入れ、自ら発信者となることでその価値を証明してきた人物です。販売員を経て独立。現在はブランド「CLESSTE(クレスト)」のデザイナーでありセレクトショップ「PLUS 81」のオーナーとなった高島さん。ファッションシーンに新風を吹き込み続ける氏が考える、ファッションの価値と未来とは?
ファッションインフルエンサーとして高い影響力を持つ高島さんですが、もともとファッション畑ではなかったと聞いています。現在に至るまでの経緯を簡単にお伺いしていいでしょうか。
はい。もともと僕は建築関係の仕事に興味があって、工業高校の建築科に通っていたんです。ものづくりが好きだったので卒業後は美大に通いたいとも思っていたのですが、縁あってハウスメーカーに勤務。3年ほど働いて、ファッションの業界に身を移しました。
何かきっかけがあったのでしょうか?
会社の先輩の影響が大きかったと思います。建築やインテリアが好きな人はアートやファッションにも関心が高い人が多く、いろいろな刺激を受けることができました。もちろん僕もファッションは好きでしたが、そこまで深く掘り下げることはなかった。いろいろなショップに連れて行ってもらって、本当にたくさんの魅力的なブランドがあることを知って、その世界にハマってしまったという感じです。
それでセレクトショップの販売員に。
はい。建築も大好きだったのですが、当時は僕もまだ若く、いろいろなことにチャレンジしたいという気持ちが勝ったんですね。自分が好きで通っていたショップの店員として働かせてもらいました。
そこからファッションインフルエンサーとしてのキャリアのスタートするわけですね。
何か自分にできる新しいことはないかと思って取り入れてみることにしたのが、InstagramとWEAR。コーディネートを考え、自分で着用して投稿し続けたのがその始まりです。当時はまだファッションインフルエンサーという言葉はありませんでしたし、そもそもInstagramやWEARやインスタグラムを利用している人自体がそんなに多くなかった。正直、意味があるのかどうかもわかりませんでしたし、コーディネートが得意というわけでもありませんでした。ただやっていて楽しかったのでなんとなく続けていたというのが本当のところです。後にこんなことになるなんて、その時は少しも思っていませんでした。
しかしそれが徐々に実を結ぶようになってきた。
ひたすら自分を投稿し続けるわけですから、周りからは「どんだけ自分好きなんだ」って小馬鹿にされている部分もありましたけど(笑)、とにかくやり続けました。次第にその投稿を見て買い物をしにきてくれる人が増えて、効果があることを実感。僕が投稿したコーディネートを丸ごと1セット購入してくれる人もいたりして。1年後には周りのスタッフもやり始めていました。
世の中的にも、SNSが接客ツールになり得ると認知され始めた頃でした。
期せずしてその最初の波に乗ることができた。ラッキーだったのだと思います。
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